院長ブログBLOG

親の話の追加

親の話を書いた時、ちょっと、成績自慢みたいに取られたらイヤだなと思って追加したいと思います。

私の育った所は、当時は村で、小さな小学校でした。 1学年、1クラスしかありませんでした。 1年生の時は2クラスだったのですが、一人転校したら1クラスになってしまいました。 丁度、境目の人数だったのですね。 そんな訳で、大部分は農家の子供でしたから、成績が良いも悪いもありません。日本中貧しかったので子供も家の手伝いをするのが主で、勉強なんてしていたら叱られるという感じでした。私は別に成績が良いと自慢している訳ではありませんので、誤解の無いようお願いしますね。

私の友人も、親が学校の先生だったので、いじめられた、と言っています。回りは大部分農家だったからです。私は、お転婆だったので虐められた事はありませんでしたけど、彼女は、お酸婆 (オスンバーと発音して、お転婆の反対) だったからだって言ってました。 またまた誤解の無いようにお願いしたいのですが、当時そうだったと言うだけですからね。 私、個人的には、農家の子供が羨ましかったものです。 こちらは、親が働いていて不在なので、おやつが無い時には、お腹が空いていたのに、他の子は、オイモなんかを焼いて食べていたからです。仲良しの子が、オイモを薄く切って、フライパンで焼いて、香ばしくて美味しそうだったのを今でも覚えています。子供なので、気が利かなくて、友達にあげるなんて事、考えもしないのでした。残念でしたねー! 今思うと本当におかしいのですが、当時はマジ、そんな時代でした。

私の家はお金は無かったのに、親がハイカラ趣味で、 当時珍しかった赤い傘を買ってくれたり、クリスマスにワザワザ静岡市まで、ケーキを買いに行ったりしました。今でも、最初のケーキは、良く覚えています。その頃、ホールケーキを売っているお店は、掛川市には無かったのです。東海道線に乗って、40分以上懸ったと思いますが、子供にケーキを食べさせたかったのでしょうね。結構、かわいがってくれたのかも知れません。「お雛様を買ってやるとか、成人式に高い着物を買ってやるなんて事は一切しないが、学校はやってやる」 と宣言していました。多分、戦争を体験して、価値観が変わった事が影響していると思います。でも、私が、医学部を受けるのは大反対でしたけどね。 普通の女の子は、英文科なんかに行く時代でしたからね。 アッ、ヤッパリ私は普通じゃ無いんだ!

 

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