19日の日曜日は、メチャクチャ暑かったので、危なく熱中症になって大恥かく所でしたが、なんとか乗り越えました。翌20日は、祭日でしたが、この日も暑い1日でしたね。 祭日だったので、欲張って、朝、涼しい内にと思って草取り、その後、 「日本小児アレルギー学会」 と言うものの50周年記念シンポジウム に行って来ました。 暑かった! 会場は 竹橋 で地下鉄駅から4分 と書いてあったのでタカをくくって行ったら、判らなくて15分位懸ってしまいました。 暑い中、歩きまわって汗ダク、だんだん、不安になるし、時間は迫って来るし、大変でした。 どうも田舎者になってしまったようで、都内は不案内ですね。
このシンポジウムの題は、 ”こどもたちの健やかな成長を願って” というものでした。いつも、小児科医は善意に満ちていると思います。 ママの皆さんに判って貰えるかと心配になる位です。 そして、驚いた事に私が、医学部を卒業して、最初に教えて戴いた先生が、初代の小児アレルギー学会の理事長だったんですって。この事は知りませんでした。 偉い先生だったんですね。実はこの先生には、殴られる! と思った程怒られた事があって、今でも決して忘れる事は出来ない思い出なんです。 何時、何故かは忘れましたが、ウッカリ 「ご苦労さまでした」 とその先生に言ってしまったら、 その瞬間、、カッと怒ってしまわれたのが判り、 殴られる! と感じたんですが、私が女性だったので、踏みとどまって下さったようでした。 その後、凄い剣幕で、 「ご苦労様、とは何だ。 目下に言う言葉だ。」 と語気荒く怒られました。 こちらが、失礼な事を言ってしまったのですから、面目無く、「大変申し訳ありません」 と平謝りに謝って、勘弁して戴いたんですが、今では良い思い出です。一番印象に残っていることが、学問的な事では無く、殴られそうになった事だとは、少々情け無いですけどね。
その先生が、考えた ”アレルギーマーチ” という、 アレルギーのいろんな病気が、だんだん、行進が近付いてくるように、病気の形を変えたり、程度を変えたりしながら進展してくる、 という考えは今でも正しいとされています。 その先生が、アメリカへ留学して、臨床をされていた時は、本当に大変で、トイレの窓から、月を眺めて涙が出るほどだった、とか、血尿が出た、と話していらっしゃいました。 昔、単身アメリカへ渡り、臨床を研究するという事はさぞ大変だっただろうと思います。 今でも大変ですけど、もっともっと大変だった事でしょう。
さて、シンポジウムの内容です。 まず、喘息の話ですが、昔とは違って、喘息で亡くなるお子さんは凄く減りましたが、0 ではありません。 そのお子さん達を助ける為に何をすれば良いのか、また、もっと良いのは、喘息にならないよう予防することですので、予防はできないか、といった事が研究されています。日本では、喘息の治療のガイドライン と言うものができ、この普及が喘息の治療レベルを上げ、お子さん達の喘息を軽くしたり、亡くなるのを防いだりしています。 これからも研究され、お子さん達を救う努力が続けられて行くと思います。 では、長くなりましたので、この続きは又。